日常の枠内でのスナップショットによって出力された〈写真〉は,視覚的には現実の体験の有意な痕跡であり,網膜を通した神経的な再刺激によって記憶やイメージの喚起を促す魔術的な偶像である.“魔術的”というのは,そもそもにおいて現象それ自体は斑紋の集合に過ぎないにもかかわらず,人間にとっては紛う事なき〈表象〉として〈世界〉に顕れていることによる…けれども〈そこ〉そのものに意味は何も無い.〈意味〉とは,本質的には人間性における,〈決して単純でない事情〉においてのみ存在している.
これは,写真に限らず他のあらゆる一切においても例外が無く,ただ写真がしばしば俎上に乗せられるのは,このフレームの内側へ視線が入り込む時に,〈観る〉という行為が独特の仕方で変容することになるからだろう.それは,世界の連続性が特に強く顕れている日常の領域で,四角く空間を歪めるような仕方で非日常の属性を帯びている.空間の空虚な穴ではなく,別の空間の浸入とも言える.
他にもたくさんこれと似た空間の歪みがあって,絵画,映像,祭事,開かれた書物,…あるいはジュエリー,インスタレーション,…すべて儀式的な魔術である.