日常が“静か”なのは,そこから新たな情報を受け取っていないからだ.そうすることでニューロンの代謝を減らし,身体エネルギーを浪費せずに済む.しかし特別なことが起こると,それに向けて多くのニューロンが活発になる.イメージとしては,アップル製品のあの読み込み中を示す動き,“ぐるぐる”.


芸術的な体験がもし日常と区別できないとしたら,そこには人間にとって観るべきものがないということになるので,そうした場合には,論理的帰結として新たに得られたものは特に無い,ということを意味する.そこでは芸術としての意味も存在しなかったということ.つまり,“芸術の顕れ”は日常に同化する仕方とは両立しえない.どちらかといえば,日常を何らかの仕方で侵すものである.だから,“私の日常すべてが芸術だ”といったような見方は,安定した世界像ー日常など無いと言っているに等しい.