今回の展覧会で新作としてアンティーク額とスナップ写真、実際に使った紙カップなどを用いたインスタレーションを発表した。
私はアートの実践について20年ほど学んできた身だが、その他のことについては無学な一市民に過ぎない。その中で、ここ1、2年の間に、時折、精神医学の臨床の知見を学ぶ機会があった(主に書籍による)。「準拠枠」という精神医学の概念があるようだが、いわば「世界認識の枠組み」がいかに強く普く個々に人生を方向づけているかについて考えるキーワードのように思えた。そして私が仕事としてアートの機会を設えるなら是非ともこれに関して具体的な考えを持つ必要があると感じていた。概念自体を知ったのは比較的最近のことではあるけれど、この概念の名称が何であれ、そもそもこの辺りの問題についてはもっと長い事私の脳裏で燻り続けていた事でもある。
顕著な制作事例として、スタバのレシートや使用済み紙カップ、あるいは私の身近な人物が中欧より持ち帰ったレシートや映像を素材にして、「認識の外部や背後」の不穏な気配をどうしたら感じとってもらえるかを探究してきた経緯がある。
今回、これまで燻らせ続けてきた問題を改めて具体的に新作として表現したことによって、手応えというよりは次につながるだろう示唆があった。クオリティについては幾分遠回りな表現を採用した気がしていて、結果的に含みが生まれ(含みのあるやや曖昧な認識のもとで制作したのだからから至極当然だろう)、論理的には鋭さに欠ける。そうは言っても準拠枠について考える視界を提供してくれるオブジェクトにはなっているから、個人的にはそこまで悪い作品とは思っていない。インスピレーションがいつもいつも造形的明晰さと直結するべきなんていうのは概ね願望でしかない。何か掴んだものがあっても、そして掴んだのは感触として事実だとしても、しかしそれが何なのかも同時に分かることはない。それはいつも遅れてやってくる。
多分、次に制作すべきとしたら、スナップ写真だとか額だとか遺留品などといった意味の複雑な素材よりも、単に四角いフレームにコンテクストを言葉で明示した多数のミニマルな作品を一堂に集めさえすれば良いかもしれない。
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