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私はある意味「逡巡」することが創作と活動のアイデンティティとなってしまっているが、確かにそれはそもそもの生き様に負うところが大きい。けれど、見て描く、そしてそれを認識論的に瓦解させる、などといった破壊的なアプローチであっても、デッサンの類ではそこまで心理的負荷がかからない。あるいは悶絶するほど好きな類の小動物のジェスチャーを描くことなら、一生続けられるかもしれない。しかも、誰かに引けをとる気もしない。もともと突出して画家として大成しようという野心でいたのが少しずつコンセプチュアル・アートの領域へシフトしていったわけだけれど、一見元どおり画業に徹するとしても、今更ロマンチズムに耽溺したりできないので、昔と同じスタイルに戻るなんていうことはないだろう。螺旋を描くように、(前後とやらは本質的には分かりようもないが)一種の進展があるだろう。
近年は個人というマイノリティの極のあたりに根ざした切実な訴えを生涯の仕事にするのが良いとずっと考えてきたが、最近の実感によればこうした態度で居続けるのは長期的にはおそらく無理がある。
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